サバイバルゲームと刀
- 店主

- 2025年11月11日
- 読了時間: 2分
更新日:4 日前
—現代の戦場で思う、心の間合い—

■はじまりは弓道部の放課後
高校1年のとき、同級生のK島から譲ってもらったガスガンがすべての始まりだった。
彼とは弓道部の仲間で、放課後になると裏山で「撃ち合い」と称して遊んでいた。
矢を番えるかわりにガスを詰め、的の代わりに互いを狙う。
緊張の瞬間は、弓を引くときのそれと同じだった。
音と距離が違うだけで、心は同じ場所にあったのだと思う。

■野良サバゲーの時代
2000年代初頭。携帯はまだガラケーで、掲示板を通じて見知らぬ仲間と出会った。
河川敷や空き地に集まり、手作りのルールで撃ち合う。
草の匂い、BB弾が草を裂く音。
そのすべてが、あの頃の自由の象徴だった。
今思えば、あれは半ば“迷惑行為”だったのかもしれない。
けれど、許可のない場所にしかなかったあの「戦場の空気」は、いまも忘れられない。
河川敷でのナワバリ争いすら、青春の一頁として胸に残っている。


■有料フィールドの洗礼
2014年頃からは、有料フィールドに足を運ぶようになった。
セーフティゾーン、弾速チェック、ゲーム前のブリーフィング。
整えられた秩序の中に、かつての無骨な熱が息づいていた。
仲間と連携を取り、声を潜めて前進する。
その一挙手一投足に、現代の「武士道」を感じた。
無法の遊びが、いつの間にか“戦いの再現”へと進化していたのだ。

■銃と刀
刀は、間合いの中で心を読む武器。
銃は、距離を超えて敵を読む武器。
構えた瞬間の集中、呼吸、視線の先の気配。
それらは同じ原理の上にある。
撃つ前に勝負は決まっている。
それは剣の世界でも、サバゲーの世界でも同じだ。
本来は命を奪うための道具が、今では「本気を出すための遊び」になった。
そこにこそ、時代を超えて受け継がれる“戦士のDNA”を感じる。

■ヘルメットを飾る理由
最後にフィールドへ行ったのは2019年。
それからはしばらく遠ざかっているが、装備は今も手元にある。
ヘルメットをヘッドマネキンに飾ると、
それはまるで戦い終えた武士が甲冑を祀るようにも見える。
埃を払うたび、草の匂いや心拍の音が蘇る。
あれは遊びだった。
けれど、確かに“戦っていた”。


■あとがき
サバイバルゲームは、単なる趣味ではなく、
「自分と向き合う戦い」でもあったと思う。
撃たれる痛みを知り、狙う集中を学び、
そしていま、その記憶を飾ることで心が鎮まる。
——現代の戦士たちが刀を持たず、銃を構えるようになっただけで、
戦う心は、きっと昔と何も変わっていないのだ。





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