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礼記射義 ― 真善美の青春と弓

執筆者の写真: 店主
店主
9月8日
読了時間: 5分
礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■高校一年生の春、弓道部へ


1994年春、関市立関商工高等学校へ入学。


球技や運動が苦手だった自分は、適当な文化系の部活を考えていました。

入学式直後に仲良くなったK島と、

中学からの友人だったN田、H田に誘われて、弓道部の見学へ。


張り詰めた空気の中、正座をして稽古を見学しました。

飛んだり跳ねたりすることもない。

「これなら自分にもやれるのでは?」

そう思い、入部を決めました。


ここから、20代前半まで続けることになる弓道が始まりました。

同学年の男子は8名。

時にはサバイバルゲームも一緒に楽しんだ、同い年の仲間たちです。


一学年上のN部先輩には特に目を掛けていただき、

先輩が大学卒業後に帰郷されてからは、

一緒に一般の弓道連盟でも弓を引くことになります(後述)。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■初めて道着を着た日の写真


今のように、誰でも簡単に写真を残せる時代ではありませんでした。


初めて道着を着た日には、N部先輩がすべてを指導してくれました。


そして、なぜか自分はフィルムカメラを持ち込んでいました。

おかげで、その日の写真が今も残っています。

我ながら、これはかなりの功績だったと思います。


弓を引いている写真は一年生の夏。

カメラの日付を見ると、1994年8月26日。


そして、よく見ると道着の紐がコマ結びになっています。

なんとこの頃、まだ蝶々結びができませんでした。

弓道を始めたことをきっかけに、蝶々結びも覚えることができました。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■弐段、そして早気


二年生の夏に弐段を取得。

しかし、そこをピークに「早気」という弓の病に悩まされるようになりました。

会を十分に保つことができず、的中にも恵まれない学生弓道となりました。

良かった時でも的中は5割ほど。

今振り返ると、弐段の認許をいただけたのは奇跡だったようにも思います。


三年生になると後輩との人間関係もうまくいかず、

まともに部へ顔を出せなかった。

幼いながらに、人間関係にかなり苦しみました。

一学年上の先輩方とは仲良くやれていただけに、今思い返しても残念な時期です。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓
礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■一般の弓道会へ


高校卒業後、N部先輩が大学を卒業して帰郷されました。

その際に誘っていただき、数年間、一般の弓道連盟でも一緒に弓を引きました。

学生時代のような競技的な弓だけではなく、

巻藁射礼などに参加する機会もありました。太刀持ちを務めたこともあります。

一度、奉行役として参加した際には、

礼をするタイミングを間違えて椅子から降りてしまいました。

今でも覚えている大きな失敗です。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓

その後、2000年7月16日。

弓道会に所属していた女性の結婚披露宴で行われた巻藁射礼では、

改めて太刀持ちを務めました。

こちらは無事にこなすことができました。

リベンジは果たした……と思うことにします。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■振り返れば、彰組の最初の仕事だったのかもしれない


弓道に関わる、もう一つ忘れられない出来事があります。

兼松先生のお師匠さまが亡くなられた際、遺品として残された在銘の鏃4本について、

研ぎと白鞘の製作を手配したことがありました。

当時はまだ会社勤めで、社内の業務として仕事をこなすことはできても、

自分の責任で一つの仕事を組み立て、

職人さんへ依頼して完成まで回すという感覚はほとんどありませんでした。


何でもこなす職人だったN部さん(故人)に言われるまま、研ぎと白鞘を手配しました。

白鞘を担当してくださった鞘師のI瀬さんは、鏃という小さな品物に対応するため、

わざわざ小型のノミまで購入して製作してくれました。

今振り返ると、会社を通さず、自分で職人さんへ仕事をつないだこの一件が、

後の「御刀商 彰組」につながる最初の案件だったのかもしれません。


完成した4本の鏃は、それぞれ4名の弓士のもとへ渡りました。

あれから長い年月が経ちましたが、今もどこかで大切に残されているのでしょうか。


■弓道の中にあった個人的な記憶


集合写真で隣にいる女性には、当時想いを寄せていました。

自分は23歳、お相手は30歳。

今であれば年齢差などほとんど気にならないと思いますが、

当時の自分には一歩踏み出す勇気がありませんでした。

関係は曖昧なまま。


最後に詰めて弓を引いた夜に精神的な調子を大きく崩し、

入院することとなってしまい、弓を中断することになります。

その間に彼女はご結婚されました。


かなり個人的な話ですが、弓道をしていた時代を振り返ると、

これも切り離せない記憶の一つです。


礼記射義 ― 真善美の青春と弓

■弓を離れて


体調を崩してから、二度ほど弓道への復帰を考えました。

しかし、道具のこと、体調のこと、仕事のこと。

いろいろな事情が重なり、結局道場へ戻ることはありませんでした。


一般に進んでから参段も何度か受審しましたが、

合格することはなく、最終段位は弐段のまま終わりました。


やり残したことは、たくさんあります。

早気にも最後まで苦しみました。


今のように、自分の射型をスマートフォンの動画ですぐ確認できる時代だったなら、

修練の方向も少し違っていたのかもしれません。

それでも、古いやり方がまだ多く残っていた時代に、

自分なりにはよく弓を引いたと思います。


年越しの108的中会。

巻藁射礼。

月例会での優勝。


細かな記憶はだいぶおぼろげになりました。

それでも、多感な年代を弓道に打ち込んだ時間があったことは、

今振り返れば良かったと思います。

これが20代前半まで続いた、自分の弓道の記録です。



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