高羽弘宗刀匠との再会-工房を訪問させて頂きました
- 店主

- 7月29日
- 読了時間: 4分
更新日:7 日前

先日、岐阜県関市の中華料理店「中華料理にいはお」さんへ
ランチに行きましたところ、関市在住の刀匠「高羽弘宗刀匠」に再会しました。
自撮りを一枚お願いし、掲載許可を頂けました。
当ホームページのABOUT USページには、以前、弘宗刀匠とご一緒した居酒屋での
ツーショット写真を使用していましたが、お顔は伏せさせて頂いていました。
今回、改めてその写真の使用許可を頂くため、工房を訪問させていただきました。

■思いがけない工房取材
昼下がりの工房。
暑い時期でもあり、弘宗刀匠は休憩されておりました。
差し入れのクラフトビールをお渡しし、写真の件もご快諾頂けました。
すると、
「工房の写真を撮影していくかい?」
とうれしいご提案を頂き、取材させていただくことになりました。
■高羽誠氏の名を冠した鍛錬所
鍛錬所には、弘宗刀匠のお父様「故・高羽誠」氏の名を冠した看板が掲げられています。
映画『怪獣ヤロウ!』でも、この看板と「高羽」の姓までそのまま使われており、
弘宗刀匠ご本人も驚かれたそうです。
映画の撮影秘話も、いろいろと聞かせて頂きました。
鍛錬所内には小型のたたらがあり、自家製鉄による作刀もされていると仰っておりました。




最近になって、思うような地鉄が作れるようになったそうです。
「まるで古刀のようだ」
と表現される地鉄の話は、弘宗刀匠の技術の円熟を感じさせる逸話だと思いました。
「地鉄ができるようになった刀匠は、もう先が短いと言われる」
と軽口を言われていましたが、まだまだお元気であってほしいと思います。
■使い込まれた細工所
一通り撮影させて頂いた後、細工所内にて二時間半ほど談話させていただきました。
細工所の看板にも、思いが込められた命名であると聞いたことがあります。
並んでいる道具は、どれも長い年月を経て使い込まれていました。



■『ザ・ファブル』南勝久先生との逸話
弘宗刀匠は、漫画『ザ・ファブル』の原作者である南勝久先生と親交があり、
最近発売された第五巻の冒頭には、弘宗刀匠とのエピソードが記載されています。
「中華料理にいはお」で再会した際に『ザ・ファブル』の件を聞き、
早速、電子書籍で購入して拝読しました。
さすがに主人公に刀を使わせるわけにもいかず、ああいう形での登場となりましたが、
刃物、武器としての怖さは存分に伝わったと思います。
南先生は、かなり多くの刀剣を所有されるようになったとのことです。
この件についてもいろいろなエピソードを聞かせて頂きましたが、
すべてをここへ記載することは控えます。
貴重なお話を聞くことができ、有意義な時間となりました。
■映画撮影の思い出
映画撮影のエピソードでは、『怪獣ヤロウ!』だけでなく、
弘宗刀匠が若い頃、二十代の頃のお話も聞かせて頂きました。
お父様とご一緒に、故・丹波哲郎氏主演の映画撮影へ応援に行かれた際のことです。
若き日の弘宗刀匠は、丹波氏に、
「俳優の仕事って面白いですか?」
と投げかけてしまったそうです。
「若いから言えたのであろう」
と、笑いながら振り返っておられました。
■二時間半では足りないほどの話
仕事に向き合う話、刀匠としての歩みの話、車の話、お酒の話、女性の話、
健康の話、ナイフ製作の話、技術コンクールの話、そして当方の事業の話。
二時間半では足りないくらいでしたが、
この後の予定もあり、名残惜しくも工房を後にしました。

■長く見守ってくださった方
プロフィール写真に使用している居酒屋での写真を撮影した頃には、
当方の事業も形になっておりました。
その席では、病気からの快気祝いだからと、弘宗刀匠にごちそうになりました。
弘宗刀匠は、わたくしが病を患う前、いわば二十代前半の多感な頃からの知り合いです。
わたくしの変化を、長く見てくださっていた方でもあります。
今回も、
「明るくなったなあ」
とうれしそうにおっしゃっていただきました。
■おわりに
今回伺ったお話の多くは、ここで紹介することはできません。
しかし、長年にわたり関の地で刀づくりに向き合ってこられた弘宗刀匠の言葉は、
わたくし自身がこれから仕事を続けていくうえでも、大いに心に残るものでした。
突然の訪問にもかかわらず、工房を案内してくださり、
写真撮影と掲載を快くお認めいただいた高羽弘宗刀匠に、改めて御礼申し上げます。





コメント