サバイバルゲームと刀
- 店主

- 11月11日
- 読了時間: 2分
—現代の戦場で思う、心の間合い—

はじまりは弓道部の放課後
高校1年のとき、同級生のK島から譲ってもらったガスガンがすべての始まりだった。
彼とは弓道部の仲間で、放課後になると弓道場の裏で「撃ち合い」と称して遊んでいた。
矢を番えるかわりにガスを詰め、的の代わりに互いを狙う。
緊張の瞬間は、弓を引くときのそれと同じだった。
音と距離が違うだけで、心は同じ場所にあったのだと思う。

野良サバゲーの時代
2000年代初頭。携帯はまだガラケーで、掲示板を通じて見知らぬ仲間と出会った。
河川敷や空き地に集まり、手作りのルールで撃ち合う。
草の匂い、BB弾が草を裂く音。
そのすべてが、あの頃の自由の象徴だった。
今思えば、あれは半ば“迷惑行為”だったのかもしれない。
けれど、許可のない場所にしかなかったあの「戦場の空気」は、いまも忘れられない。
河川敷でのナワバリ争いすら、青春の一頁として胸に残っている。

有料フィールドの洗礼
2014年頃からは、有料フィールドに足を運ぶようになった。
セーフティゾーン、弾速チェック、ゲーム前のブリーフィング。
整えられた秩序の中に、かつての無骨な熱が息づいていた。
仲間と連携を取り、声を潜めて前進する。
その一挙手一投足に、現代の「武士道」を感じた。
無法の遊びが、いつの間にか“戦いの再現”へと進化していたのだ。

銃と刀
刀は、間合いの中で心を読む武器。
銃は、距離を超えて敵を読む武器。
構えた瞬間の集中、呼吸、視線の先の気配。
それらは同じ原理の上にある。
撃つ前に勝負は決まっている。
それは剣の世界でも、サバゲーの世界でも同じだ。
本来は命を奪うための道具が、今では「本気を出すための遊び」になった。
そこにこそ、時代を超えて受け継がれる“戦士のDNA”を感じる。

ヘルメットを飾る理由
最後にフィールドへ行ったのは2019年。
それからはしばらく遠ざかっているが、装備は今も手元にある。
ヘルメットをヘッドマネキンに飾ると、
それはまるで戦い終えた武士が甲冑を祀るようにも見える。
埃を払うたび、草の匂いや心拍の音が蘇る。
あれは遊びだった。
けれど、確かに“戦っていた”。
あとがき
サバイバルゲームは、単なる趣味ではなく、
「自分と向き合う戦い」でもあったと思う。
撃たれる痛みを知り、狙う集中を学び、
そしていま、その記憶を飾ることで心が鎮まる。
——現代の戦士たちが刀を持たず、銃を構えるようになっただけで、
戦う心は、きっと昔と何も変わっていないのだ。







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