サバイバルゲームと刀
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- 2025年11月11日
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更新日:8月3日

■はじまりは弓道部の仲間と
高校1年のとき、弓道部の同級生だったK島からガスガンを譲ってもらった。
MGC社製のグロック17である。
それが、エアソフトガンに興味を持つきっかけだった。
部の同級生一同で、裏山で「撃ち合い」と称して遊んでいた。
弓道部の練習がない日には、今度はガスガンや初期の電動ガンを手に山へ入る。
今考えれば、ずいぶん危ないことをしていたものだと思う。
それでも、相手がどこに隠れているのか探しながら、
木の陰から様子をうかがう時間はじつに面白かった。
弓道とはまったく別の行いだったが、狙いを定める瞬間の緊張感には、
どこか似たところがあったのかもしれない。
■野良サバゲーの時代
2000年代初頭には、インターネットの掲示板を通じて知り合った人たちと、
有志でサバイバルゲームをするようになった。
まだ携帯電話はガラケーの時代である。
今のように有料フィールドが各地にあるわけではなく、
河川敷や空き地に集まり、自分たちでルールを決めて遊んでいた。
いわゆる「野良サバゲー」である。
草むらに潜み、相手の動きを待つ。
BB弾が草を抜ける音を聞きながら、見つからないように少しずつ場所を移す。
装備も遊び方も、今ほど洗練されていなかった。
それでも、自分たちで遊び場を作っているような面白さがあった。
今振り返れば、許可を得た場所ではなく、周囲にとっては迷惑な集まりだったと思う。
初めて参加した野良グループには馴染めなかったが、
やがて岐阜・愛知で手広く活動していた「TEAMわ~ぼあ」に加入することになる。
河川敷の場所を巡って、別のグループとナワバリ争いのようになったこともあった。
決して褒められた遊び方ではない。
それでも、あの頃にしかなかった空気も確かにあった。
一緒に遊んだ人たちのことや、河川敷の風景は今でもよく覚えている。

■遊び方の完成型-有料フィールドへ
2014年頃からは、有料のサバイバルゲームフィールドへ足を運ぶようになった。
受付を済ませ、弾速を測り、ゲーム前にはルール説明を受ける。
決められた区域の中で遊び、撃たれたら自分で申告して退場する。
昔の野良サバゲーと比べると、ずいぶんと整った遊びになっていた。
最初は少し窮屈にも感じたが、安全に遊ぶためには当然のことだった。
仲間と声を掛け合いながら進んだり、相手がいそうな場所を予想して
回り込んだりする面白さは、野良で遊んでいた頃と変わらなかった。
この頃にも、かなり仲間が増えた。
後に解散することになったが、LINEグループ「サバゲーやろうぜ彰組」には、
最大で30名近い登録者がいた。
この「彰組」が、後の商号「御刀商 彰組」の名の元になっている。
装備も増えた。
銃だけでなく、迷彩服、ヘルメット、ベスト、ブーツなどを揃え、
ゲームへ行く前に装備を組む時間も楽しみの一つになっていた。
装備を運ぶバッグまで米軍のものになった。
気力、体力、技術、道具。すべてが充実していた時期だったと思う。
フィールドスタッフに撮影してもらった写真を見るのも、当時は嬉しかった。


■銃と刀
現在は、日本刀を扱う仕事をしている。
刀と銃はまったく違う道具だが、実際に構えてみると、どこか通じるものがある。
姿勢を整え、呼吸を落ち着かせ、相手との距離を見る。
不用意に動けば隙が生まれ、焦って飛び出せば撃たれる。
サバイバルゲームでは、たくさん弾を撃ったからといって勝てるわけではない。
物音を聞き、相手の位置を考え、動くべき瞬間を待つ。
刀にも、構えや間合いがある。
道具だけに頼るのではなく、相手を見て、自分を落ち着かせることが必要になる。
弓道からエアソフトに入り、長くサバイバルゲームを楽しみ、
今は日本刀を仕事にしている。
当時はそこまで考えていなかったが、振り返ってみると、
自分は昔から、構えて狙い、間合いを読むことが好きだったのかもしれない。
エアソフトガンのメンテナンスを請け負ってくださった、
ガンショップファーストの皆さん、骨董銃具店のクフィールさん、
そしてG-Professionalの角田さん。
本当にお世話になりました。
自分も刀の世界で、困ったときに頼っていただける、
あなた方のような存在になりたいと思っています。


■ヘルメットを飾る理由
最後にサバイバルゲームへ参加したのは2019年だった。
それからフィールドへは行っていない。
あるサバゲーチームのリーダーとSNS上で揉め、複数人が自宅を襲撃してきて、
警察を呼ぶ事態になったことも理由の一つである。
趣味の延長で、そこまでのことになるとは思っていなかった。
体力的にも、以前のように一日中走り回るのは難しくなった。
バッテリーを処分し、サバゲー用に使っていたカバンの中身も整理した。
趣味としては、ほぼ引退したと言ってよいと思う。
それでも、気に入っていた銃や装備は残している。
ヘルメットはヘッドマネキンにかぶせて飾ることにした。
しまったままにするよりも、装備していた頃の形で置いておきたかった。
目にすれば、フィールドへ通っていた頃を思い出す。
今では、当時の写真を見ても昔ほど強く気持ちは動かない。
それでも、何も感じなくなったわけではない。
埃を払ったり、たまに銃を構えたりすると、少しだけ当時の感覚が戻ってくる。
動かなくなったとしても、
スタンダード電動ガンのSR-16は大切に飾っておくつもりである。

■軍装とヘルメット
サバイバルゲームでほぼ毎回かぶっていたヘルメットには、ひときわ思い出があります。
最初に使っていたのは、岐阜中央郵便局の裏にあった
用品店「ドッグタグ」で購入したヘルメットでした。
その後、よりリアルなものを求めて、中田商店製の個体を入手しました。
いわゆるPASGTというモデルで、フリッツヘルムとも呼ばれる、
1980~90年代の米軍装備です。
もう一つはS&G製で、こちらもよくできていました。
ストラップ(顎紐)を海兵隊モデルへ交換し、
より近代型のLWHを目指しました。ライナーにも実物を転用しています。
近年のサバイバルゲームでは、スポーツ寄りの服装や私服で参加する方が大半となり、
軍装でゲームをするプレーヤーは、ほとんど見かけなくなりました。
自分も新しいスタイルへ切り替えようと、
クライミングヘルメットを購入したことがあります。
しかし、結局実用には至りませんでした。
かなり、軍装が好きだった。
装備を揃え、その姿でゲームをするところまで含めて、
サバイバルゲームを楽しんでいたのだと思います。
現在も一部のフィールドでは、「軍装祭」と呼ばれるイベントが根強く続いています。



■あとがき
高校時代に一丁のガスガンを譲ってもらったことから始まり、
野良サバゲーを経て、有料フィールドにも通った。
ずいぶん長く遊んだ趣味だった。
当時は毎回のように新しい装備が欲しくなり、フィールドへ行く日を楽しみにしていた。
今は、そこまでの熱はない。
また本格的に復帰したいとも思わないし、体力的にも難しいだろう。
仲間も散り散りになってしまった。
現在も現役で遊んでいるのは、ごく一部の人だけである。
けれど、夢中になっていた思い出まで処分する必要はないと思っている。
気が向いたときに構えてみる。
撃てる状態なら、少し試し撃ちをする。
これからは、そのくらいの距離で付き合っていけばよい。
もう現役の趣味とは言えないが、自分の中から完全になくなったわけでもない。
これからは、お座敷コレクターで良いと思う。
あの頃は、確かに楽しかった。自分なりに、やりきった。





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