自在 — 焔をくぐり抜けて今
- 店主

- 2025年11月11日
- 読了時間: 2分
更新日:2025年12月9日

しなやかさは、焔の中でしか生まれない。
20代、30代。
社員としてもうまくいかず、借金を借金で返すような金利の地獄をくぐり抜けた。
油やトリクレンまみれの町工場で働き、時には刀工房にお情けで置いてもらう日々。
自分の居場所がどこにもないように思えた。
思えば、社会に出た最初の職場もそうだった。
親のつてで大手に就職したが、職場の女子たちとうまく馴染めず、
早々に辞めてしまった。
今なら「みんな何かを抱えていた」と思えるが、
あの頃の自分はまだ無垢で、世界を単純に信じすぎていた。
※今の自分なら全員テゴメにしちゃいそうだなと思った(笑) 異性が聖域だった,未知だったからその時は相容れなかったのかな
23歳のころ、過労から心が軋み、世界の輪郭がゆがんだ。
人の声が遠くに響き、時間の流れが他人事のように感じられた。
けれど、そんな中でも「刃の音」だけは確かだった。
それだけが、自分と現実をつなぐ細い糸のように思えた。
2018年、汚れきった職歴の果てにようやく独立した。
最初は小遣い稼ぎのような仕事だったが、
ある夜の夢に、懐かしい工房の仲間たちの事を見た
目覚めてしばらく、その光景が頭を離れなかった。
やがて現実のほうが夢に追いついてきて、
その皆と仕事をする日が訪れた。
振り返れば、あの不遇の年月がなければ、
今の自分は鍛えられなかった。
借金も、油も、孤独も、
そしてあの心の歪みさえも、
自分を焼き入れる焔だったのだと思う。
いまは、物質的にも精神的にも不足を感じない。
どこにも無理がない。
それを「自由」と呼ぶよりも、「自在」と呼びたい。
自由が“解き放たれること”だとすれば、
自在は“解き放たれたあとも、自らを操れること”だ。
刃を打つように自分を打ち、
折れも曲がりも受け入れて、ようやく得た静けさ。
不自由を経てこそ掴める、穏やかな自由。
それが、いまの自分にとっての「自在」だ。
— 想事・自在界にて/末松 彰







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